約 47,166 件
https://w.atwiki.jp/replaysangokushi/
リプレイ動画三国志の世界へようこそ! ここでは管理人カメラマンことにんべんがプレイした動画を まとめていきたいと想いまる。
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/101.html
<魏 229年> <蜀漢 229年> <呉 229年> 229年 太和三年(魏) 皇帝 曹叡(魏) 皇后 毛氏(明悼毛皇后・河內人) 三公 太傅:鍾繇 太尉:華歆(前司徒) 司徒:(空位) 司空:陳群(前鎮軍大將軍) 九卿 その他の要職 大司馬:(空位) 大将軍:曹真(前中軍大將軍) 驃騎大將軍:司馬懿(前撫軍大將軍) 地方官 主な事件 三年夏四月、元城王曹禮が薨ず《三国志魏書明帝紀》 六月癸卯、繁陽王の曹穆が薨ず《三国志魏書明帝紀》 六月戊申、高祖大長秋の曹騰を高皇帝に、夫人の吳氏を高皇后に追尊する《三国志魏書明帝紀》 秋七月、詔して「禮,王后無嗣,擇建支子以繼大宗,則當纂正統而奉公義,何得復顧私親哉!漢宣繼昭帝後,加悼考以皇號;哀帝以外藩援立,而董宏等稱引亡秦,惑誤時朝,既尊恭皇,立廟京都,又寵藩妾,使比長信,昭穆於前殿,並四位於東宮,僭差無度,人神弗祐,而非罪師丹忠正之諫,用致丁、傅焚如之禍.自是之後,相踵行之.昔魯文逆祀,罪由夏父;宋國非度,譏在華元.其令公卿有司,深以前世行事為戒.後嗣萬一有由諸侯入奉大統,則當明為人後之義;敢為佞邪導諛時君,妄建非正之號以干正統,謂考為皇,稱妣為后,則股肱大臣,誅之無赦.其書之金策,藏之宗廟,著於令典《三国志魏書明帝紀》 冬十月、平望觀を聽訟觀に改める。帝は常に「獄は天下の性命なり」と言っていた。大獄を断つたびに常に之を觀に臨んだ《三国志魏書明帝紀》 十一月、それまで洛陽の宗廟が完成せず鄴にあったのを、廟が完成したので太常の韓暨に節を持たせ高皇帝、太皇帝を迎えた。武帝、文帝神主は鄴にあった《三国志魏書明帝紀》 十二月己丑至、神主を廟に安んずるよう奉った《三国志魏書明帝紀》黃初四年に有司が二廟を立てるよう奏上している。太皇帝大長秋と文帝を一廟とし、特に武帝廟を立てて百世あっても毀さないとした。今高祖の神主無く、蓋以親盡毀也.すなわち魏の初め唯親廟を立て、四室を祀った。景初元年に至って始めて七廟之制を定めた。《三国志魏書明帝紀に引く裴松之注》 十二月癸卯、大月氏王の波調が奉獻の使者を遣わす。波調を親魏大月氏王と為す《三国志魏書明帝紀》 誕生者 死没者 曹禮:元城王 曹穆:繁陽王
https://w.atwiki.jp/ishigamism_wiki/pages/150.html
作者:吉川英治 初版:2000年X月X日 感想:劉備、隴を得て蜀を望む!勢いを取り戻す曹操!そして孫権は・・! 【1回目】 期間:2010年4月4日(日)~4月12日 日数: 三国志 吉川英治 歴史
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/16.html
<魏 240年> <蜀漢 240年> <呉 240年> 240年 正始元年 (魏) 皇帝 曹芳(魏齊王・字蘭卿) 皇后 (空位) 三公 太傅:司馬懿(前太尉) 太尉:滿寵(前征東將軍) 司徒:衛臻(前司空) 司空:崔林(前司隸校尉) 九卿 衛尉: その他の要職 大将軍:曹爽(前武衛將軍) 驃騎大將軍:→ 車騎將軍:黃権(前鎮南將軍)→(死亡) 地方官 荊州刺史:胡質 幽州刺史:母*丘儉 雍州刺史:郭淮 主な事件 正始元年春二月乙丑、侍中中書監の劉放を左光祿大夫に、侍中中書令の孫資に右光祿大夫を加える《三国志魏書三少帝紀》 二月丙戌、遼東の汶、北豐の県民が海を渡って流れ着き、齊郡の西安、臨菑、昌國の県境に居を定める。新汶、南豐県と改め、流民を居住させる《三国志魏書三少帝紀》 前の年の冬十二月から元年二月に至るまで雨が降らず《三国志魏書三少帝紀》 二月丙寅、詔して獄官に令して審理させて軽微罰のものを出せ。公卿士人による的を得た言、謀を受け入れるだろう《三国志魏書三少帝紀》 夏四月、車騎將軍黃權が薨ず《三国志魏書三少帝紀》 秋七月、詔に曰わく「現在百姓は不足があるのに御府は多くの金銀雜物を作っている。今黃金銀物百五十種・千八百余斤を出し、銷冶して軍用に供する」《三国志魏書三少帝紀》 八月、秋の収穫に合わせ車駕は洛陽の周辺を巡り、高年齢のもの、力田のものに各々格差をもって下賜した。 魏の王凌*は征東将軍・仮節都督揚州諸軍事に任じられた《三国志魏書王凌*伝》 誕生者 死没者 黄権:車騎將軍
https://w.atwiki.jp/ishigamism_wiki/pages/152.html
作者:吉川英治 初版:2000年X月X日 感想:南蛮を制圧した孔明は、最大のライバル司馬懿との戦いに望む・・!そして孔明の運命はいかに 【1回目】 期間:2010年4月19日(日)~5月2日(日) 日数: 三国志 吉川英治 歴史
https://w.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/22.html
[部分編集] 新世紀 東方三国志 ~ひぐらしの憂鬱~ http //www.nicovideo.jp/watch/sm584875 使用ゲーム 三國志Ⅸ シナリオ・担当勢力 英雄集結改 ニート軍 登録武将 新世紀エヴァンゲリオン 東方Project ひぐらしのなく頃に涼宮ハルヒの憂鬱ローゼンメイデンその他 投稿時期 2007年7月9日~9月17日(打ち切り) 投稿者名 Yogurt→青ネギ 関連タグ ニート三国志 ニコニコ大百科 ニート三国志 マイリスト 新世紀 東方三国志 ~ひぐらしの憂鬱~ 備考 [部分編集] 簡単な解説 通称「ニート(三国志)」 後発の三国志プレイ動画に様々な影響を与えた作品。 再生数も多く、その人気は数ある三国志プレイ動画の中でも上位。 基本的に「魅せる」動画であり、内政はほぼカット。戦闘シーンと会話パートを楽しむ構成となっている。 現在は第一部で打ち切り終了。 第二部に関しては、うpが2年間ネット環境から隔離され公開が難しくなることが最終話の説明文で報告された。 そして約束通り2010年に帰ってきたが、その間にPCが破損。HDDのデータは吸い出さない限り取り出せないという事態に。 コメント欄 風呂敷広げすぎた。破綻してもいいから待ってる -- 名無しさん (2007-10-24 10 42 44) いつまでも待ってます -- 名無しさん (2007-10-30 17 53 13) 俺だってずっと待ち続けてるぜ!! -- 名無しさん (2007-11-04 22 58 06) もう一週してきます -- 名無しさん (2007-11-06 00 53 11) 何度見ても、呉水軍戦での羽入覚醒イベントは泣ける -- 名無しさん (2007-11-06 03 52 49) ストーリーパートの面白さに定評あり。月の地球の二大ニートの競演は必見。ただし、中国地元武将の出番はまったく無い。 -- 名無しさん (2007-11-07 00 14 50) パッド派とメイド長派のパッド戦争が勃発したニコニコ動画は此処が始め。うp主のコメント結界は見物だと思う。 -- 名無しさん (2007-11-08 23 31 36) 主人公はえーりん -- 名無しさん (2007-11-19 12 06 08) 政治家バージョンもやってほしいな -- 名無しさん (2007-11-30 14 43 24) 劉度、チルノ放浪記など、現在人気の三国志プレイ動画に多大なる影響を与えた動画 -- 名無しさん (2007-12-05 23 09 36) 地味に立ちはだかる地元武将達(敵)も、この動画を面白くした一つのポイントであり、準レギュラー陣として注目していただきたい。 -- 名無しさん (2007-12-16 18 05 25) 東方系を中心に、場面に合ってたり合ってなかったりするBGMも素敵。うp主の編集コメと併せて世界観を演出している。 -- 名無しさん (2007-12-17 12 10 50) 間違いなく面白い。ただ、先駆け的存在なだけに敵を強化するつもりが弱体化させてるような逆チートのミスも多い。有力な人材が集まってしまった現在では、二部を面白くつくるのは難しいんじゃないだろうか? -- 名無しさん (2007-12-19 16 26 48) あの水軍戦のストーリーを超えるものはないな。 -- 名無しさん (2007-12-21 14 07 23) 某ニートが主役でキャラが活かしてるのが人気の秘訣 -- 名無しさん (2008-01-04 10 13 16) この動画からやたらと三国志動画で呂岱を見かけるようになったな。まさか1700年以上の辺境で自分が変に有名になったとは思ってもいまいて。 -- 名無しさん (2008-02-04 09 27 55) いかにも武将達が取りそうな判断をしてくれるのが嬉しく楽しいストーリー。うp当時のテンションに合わせた主コメがあるため、ちょっとしたナマモノではあるが、決して腐らない。あと、たまにはローゼンメンバーのことも思い出してあげてください。 -- 麻生太郎 (2008-03-09 01 51 15) ローゼンは題名にも混ざってないし、活躍するのがあとの方だから影が薄いんだよな。 -- 名無しさん (2008-03-09 14 02 57) うp主のコメントも面白いし、ストーリーもコメディ・シリアス面、両方とも要所要所を押さえてあるため非常に面白い。水軍戦はほんとに神。 -- 名無しさん (2008-03-19 03 38 10) 2年間、更新停止らしいぞorz まつか -- 名無しさん (2008-04-15 04 00 20) きっと忘れるんだろうな・・・ -- 忘却さん (2008-04-15 21 32 42) 東方キャラの歴史戦略ゲーでは元祖か -- 名無しさん (2008-05-01 04 11 42) 二年後ってことは来年の9月だろ?あっという間さ -- 名無しさん (2008-07-10 00 53 07) あと数ヶ月・・・あと数ヶ月・・・かな? -- 名無しさん (2009-04-04 21 34 20) 1月後に迫ったな -- 名無しさん (2009-08-20 16 10 55) 待とうと思えば待てるもんだな。 -- 名無しさん (2009-11-22 22 08 09) 待ったぞ -- 名無しさん (2010-01-11 18 45 50) 更新来た! 詳しくは最終動画を参照 -- 名無しさん (2010-01-11 22 41 32) 忘れてなかったが、その間に数多のうp主が泣かされた、『PC故障・HDDクラッシュ』の憂き目に遭うとは -- 名無しさん (2010-03-02 15 48 28) まあ、どちらにしても紙芝居に史実武将を殆ど出さない方針だったし、登録武将はほとんど自軍入りしちゃったし、このままだと敵側描写出来ないだろうから、続き作りにくいしね。 -- 名無しさん (2010-04-21 15 51 10) 7月です。まだですか。 -- 名無しさん (2010-07-19 01 13 56) HDDを吸い出すのは困難だけどその後のストーリーとかが一番大変ではないか? -- 名無しさん (2010-07-31 17 35 57) もう9月かー。まだかなぁ。 -- 名無し (2010-09-02 21 20 10) もうあれから3年かあ~、早いな・・・まだかな。 -- 名無しさん (2010-09-18 00 40 19) 更新来ました!詳しくは最終動画にあります。 -- 名無しさん (2010-12-28 11 03 33) いまさらだが書き込みを、その69のコメントにて打ち切りが確定した。 -- 名無しさん (2011-03-30 17 58 52) 懐かしい -- 名無しさん (2024-04-29 08 26 11) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/312.html
リスト等 リストは無い。 タグ「 厳白虎の野望 」参照 登録武将 アイマス、ハルヒ、外山恒一ほか 解説 三国志5(SFC版)の純プレイ動画。Part28で更新停止。 君主は厳白虎。 縛りとして 1、妖術・仙術・幻術・治療不可。 2、曹操・劉備・孫策とは同盟不可。 3、斬首不可。 を掲げている。 うp主コメントにある通り、「袁術で皇帝を目指す」の影響を受けた作品。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/sanngoku/pages/16.html
戦紹介 黄巾の乱 汜水関の戦い 除州制圧戦 下ヒの戦い 江東・呉の戦い 官渡の戦い 長坂坡の戦い 赤壁の戦い 潼関の戦い(関中制圧戦) 成都制圧戦 漢中争奪戦 荊州争奪戦 夷陵の戦い 南中平定戦 街亭の戦い 諸葛亮北伐 魏対呉蜀連合戦 姜維北伐 魏呉対戦 祁山侵攻戦 姜維・孫峻北伐 蜀侵攻戦 旧蜀侵攻戦 鍾会・姜維クーデター 呉晋戦争 呉普西陵大戦 広州 郭馬の反乱 三国志終焉呉滅亡
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/156.html
<魏 254年> <蜀漢 254年> <呉 254年> 254年 嘉平六年→正元元年(魏) 皇帝 曹芳(魏斉王)→曹髦(魏高貴鄉公) 皇后 張氏→(廃位)→王氏→(廃位) 皇太子 三公 太傅:(空位) 太尉:司馬孚(前司空) 司徒:高柔(前司空) 司空:鄭沖(前光祿勳) 九卿 録尚書事:司馬師(大将軍) 光祿勳: その他の要職 大将軍:司馬師(前撫軍大將軍) 車騎將軍:郭淮(前征西將軍) 驃騎將軍:? 衛将軍: 地方官 雍州刺史:陳泰 主な事件 六年春二月己丑、鎮東將軍の母*丘儉は、諸葛恪が合肥新城を囲んだ折、城中の士の劉整、鄭像に功があったと上言した。詔して追って劉整、鄭像に關中侯の爵を賜い、各士の名を刻み、子に爵を継がせよ。《三国志魏書三少帝紀》 二月庚戌、中書令の李豐は皇后の父で光祿大夫の張緝等と謀り、大臣を廢易して、太常の夏侯玄を大將軍と為さんとする。事は発覚し、諸所で関連したもの皆誅に伏す《三国志魏書三少帝紀》 二月辛亥、大赦《三国志魏書三少帝紀》 三月、皇后の張氏を廃す《三国志魏書三少帝紀》 夏四月、皇后に王氏を立てる。大赦。《三国志魏書三少帝紀》 五月、皇后の父である奉車都尉の王夔を廣明鄉侯に封じ、光祿大夫、特進の位を授ける。妻の田氏は宣陽鄉君と為す《三国志魏書三少帝紀》 秋九月、大將軍の司馬師は廢帝を謀り、皇太后に相談する《三国志魏書三少帝紀》 九月甲戌、太后は令に曰わく、「皇帝の芳は年が長じても萬機に親しまず、耽淫內寵・沈漫女德・日延倡優・縱其醜謔である。天意に適わない。宗廟に奉って、太尉の高柔に兼ねさせて策を奉じ、宗廟に告げ、芳を齊国に歸藩させ、皇位を譲らせる」即日別宮に移る。年は二十三。使者は節を持って送る。齊王宮を河內の重門に営み、制度は皆藩國の禮に準じた。《三国志魏書三少帝紀》 九月丁丑、令して曰わく「東海王曹霖は、高祖文皇帝の子である。高貴鄉公の曹髦は大成之量あり、明皇帝の跡継ぎと為す《三国志魏書三少帝紀》司馬師はまた永寧宮に、「大宗は跡継ぎが無く、分家の中から賢者を選ぶべきです。東海定王の子である高貴鄉公は文皇帝の孫で正統なる血統であり、烈祖明皇帝の後を継ぐに問題ありません。臣は公を洛陽宮に徵することを望みます」と奏上し、可とされた。中護軍の司馬望、兼太常で河南尹の肅は節を持ち、少府の褒、尚書の亮、侍中の表等と法駕を奉じて、公を元城に迎えに行った。《三国志魏書三少帝紀に引く魏書》晉の受禪後、齊王を封じて邵陵縣公と為し、年四十三、泰始十年に薨ず。厲公と諡する《三国志魏書三少帝紀に引く魏世譜》 十月己丑、曹髦は玄武館に至り、臣下は舍前殿にお出ましになるのを請うた。曹髦は先帝がいた所として避けて西廂に止まる。臣下は又法駕をもって迎えることを請うたが聽かず。《三国志魏書三少帝紀》 庚寅、曹髦は洛陽に入る。臣下は西掖門の南で拝し迎える。曹髦は輿を降りて答拜した。儐者が「儀礼によれば拝礼しないものです」と言った所、公は「私は人臣です」と答え、拝礼した。止車門で輿を降りると左右の者が「輿に乗ったままお入りください」というと、公は「私は皇太后様に徵されただけでまだどうなるか分からないのだ」と答えた。步いて太極東堂に至り、太后に会った。即日皇帝に即位し太極前殿に現れた。百僚陪位者が迎えた。詔して曰わく「昔、三祖は神のような武と聖德によって天命に応じて禅譲を受け、齊王が皇位を嗣いだ。だが行いを律することができず、皇太后は社稷の重責を憚り、宰輔の謀を受け入れ、皇位を替えるに至った。私は大命を一身に受け、身も細る思いだ。祖宗の大訓を守り継ぐことができるか畏れる。今公卿士は股肱として輔佐し、四方征鎮はその力を発揮し、皆德を積み功を挙げよ。帝室に忠勤たれ。先祖先父以来の有德之臣よ、左右にある者よ、皇家を守れよ」大赦。改元する。乘る輿、服御、後宮の用度を減じる。また尚方御府百工を罷めさせ、技巧靡麗や無益の物は無くした。《三国志魏書三少帝紀》 正元元年冬十月壬辰、侍中に節を持たせて四方に分けて遣わし、風俗を観、士民を労り、職の無い者を調べさせた《三国志魏書三少帝紀》 癸巳、大將軍の司馬師に黃鉞を与え、入朝不趨、奏事不名、劍履上殿の権限を与えた。《三国志魏書三少帝紀》 戊戌、黃龍が鄴の井戸の中に見られた《三国志魏書三少帝紀》 甲辰、有司に命じて今回の廢立において定策之功を論じさせ、封爵、增邑、進位を行った。各々格差があった《三国志魏書三少帝紀》 誕生者 死没者
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/100.html
<魏 228年> <蜀漢 228年> <呉 228年> 228年 太和二年(魏) 皇帝 曹叡(魏) 皇后 毛氏(明悼毛皇后・河內人) 三公 太傅:鍾繇 太尉:華歆(前司徒) 司徒:王朗(前司空)→(死亡) 司空:陳群(前鎮軍大將軍) 九卿 その他の要職 大司馬:曹休(前征東大將軍)→(死亡) 大将軍:曹真(前中軍大將軍) 驃騎大將軍:司馬懿(前撫軍大將軍) 地方官 主な事件 二年春正月、司馬懿は新城を攻め破る。孟達を斬り其首を都に送る。新城の内、上庸、武陵、巫縣を分けて上庸郡と為し、錫県を錫郡と為す《三国志魏書明帝紀》司馬懿は孟達の將の李輔と孟達の甥の鄧賢を誘った。賢等は門を開き軍を招き入れる。孟達は3ヶ月と6日囲まれ、敗れる。その首は洛陽の四達之衢で焚かれる《三国志魏書明帝紀に引く魏略》 蜀大將の諸葛亮が天水、南安、安定三郡を攻め、吏民は之に応じて叛く。大將軍の曹真を都督として關右に遣わし、並んで右將軍張郃の軍を進めて街亭を討つ。大いに破る。諸葛亮は敗走する。三郡を平らぐ《三国志魏書明帝紀》 丁未,長安に行幸する《三国志魏書明帝紀》 夏四月丁酉、洛陽宮に還る。死罪以下の囚人を赦免した《三国志魏書明帝紀》 四月乙巳,諸葛亮討伐の論功行賞を行う。封爵増邑に各々格差があった《三国志魏書明帝紀》 五月、大旱魃《三国志魏書明帝紀》 六月、詔に曰う「尊儒貴学。王教の本だ。博士を選びその才に任せ常に側に置くだろう。郡國に申し渡せ。經學の士を挙げよ」《三国志魏書明帝紀》 秋九月、曹休は諸軍を率いて皖に至り、吳將の陸議と石亭に於いて戦う。連敗す《三国志魏書明帝紀》 乙酉,皇子の曹穆を立てて繁陽王と為す《三国志魏書明帝紀》 庚子、大司馬の曹休が薨ず《三国志魏書明帝紀》 冬十月、詔して公卿近臣は良將各一人を挙げよ《三国志魏書明帝紀》 十一月、司徒の王朗が薨ず《三国志魏書明帝紀》 十二月、諸葛亮が陳倉を囲む。曹真は將軍の費曜等を遣わして之を拒む《三国志魏書明帝紀》これより先、將軍の郝昭に陳倉城を築かせる。諸葛亮は郝昭と同鄉の靳詳に城外から何度も説得させるが聴かず。このとき城兵は合せて千余人。諸葛亮は数万。東に救援を求めることも出来ず。諸葛亮が兵を進めて雲梯・衝車を立てて城に臨むと火箭をもって逆射し雲梯、梯、梯上人を皆燒死させた。又繩を以て連石磨を衝車に落し衝車を折る。さらに井闌百尺城中に射込む。土で丸填塹を造り、城をよじ上ろうとした。郝昭は又內側に重牆を築く。諸葛亮は又突を穿って城裏に出んと欲す。郝昭は又城內に地を穿ち橫に広げた。昼夜相攻拒こと二十餘日。諸葛亮は計無く、救援が至ったので引き退いた。詔してよく守備したことを嘉みし、列侯を賜う。及都に還り、帝は引見し慰勞する《三国志魏書明帝紀に引く魏略》 十二月、遼東太守公孫恭の兄の子である公孫淵が公孫恭の位を奪う。公孫淵は遼東太守を領す《三国志魏書明帝紀》 誕生者 死没者 曹休:大司馬